キルトについて

キルトとは、表地と裏地の間に薄い綿を入れ、重ねた状態で指し縫いしたものです。日本では、多色の布を縫い合わせたパッチワークキルトが 主流となっています。布に綿をはさむ技法や、端切れを一枚布に仕立てる技法などは各地に存在し、古代エジプトですでに用いられていたと されています。各地のキルトを紹介します。

ジャパニーズキルト

1975年に資生堂の主催で開催されたキルト展において、ジョナサン・ホルスタインのコレクションが公開されたことから徐々に 『キルター』と呼ばれる愛好家が増え、アメリカに次いでキルトが盛んになったそうです。当初はパッチワークキルトが主流でしたが、 トラプントやスラッシュキルト、クレージーキルトなどさまざまな技法を取り入れ、発展しています。また、1ページ目で紹介した 刺し子を『日本のキルト』と呼ぶ場合もありますが、通常はキルトに含めず、日本的な感性で配色されたキルトや、 和の素材を使用して作ったキルトを『ジャパニーズキルト』と呼ぶ場合が多いようです。

アメリカンキルト

アメリカンキルトのはじまりは、布地の有効利用のためにあまり布をつないで作ったことといわれています。 当時は布の利用に主眼がおかれたため、モチーフなどの制作は行われていませんでした。産業革命以降、キルトに装飾性が求められるように なり、様々なモチーフが考案されました。南北戦争の際に、モチーフを利用して暗号文を作成したという伝説が残っているそうです。 1800年代半ばから、『キルティング・ビー』と呼ばれる、多人数で一枚のキルトを制作する会が催されるようになり、 女性の主要な社交場となりました。1900年代に入り、女性の社会進出が一般化するとキルトは一時衰退しますが、 1970年にキルト研究家のジョナサン・ホルスタインがコレクションを公開すると、アートの一つとして再評価されたそうです。

ヨーロピアンキルト

キルトはヨーロッパの寒冷地で発祥したといわれ、保温のために布地に綿をはさんだのが始まりといわれています。 十字軍の遠征に伴って、保温着としてヨーロッパ各地に広まり、上流階級の女性の手芸としてさまざまな技法が編み出されました。 その後、清教徒のアメリカ移民とともにアメリカに伝わりました。

ハワイアンキルト

1820年代にイギリス人宣教師によって伝えられたパッチワークキルトが独自に発展したもの。大判の一枚布を8つに折り畳んでカットするため、 左右対称のモチーフができます。 ハワイでは、ハギレを利用する習慣がなかったため、大判の布をあえて細かく裁断して使用したと いわれています。

ボルチモアキルト

ボルチモアの女性たちが作ったアルバム・スタイルのキルトで、ボルチモア・アルバム・キルトとも呼ばれています。 メソジスト会派の女性が献金を募る目的で製作したり、牧師さんへの贈り物、結婚のお祝いとして作られたものが多いようです。 風景を写実的に表した模様や、華やかな花のアップリケが特徴で、その手法を真似て作るものをボルティモアキルトと呼ぶ場合があります。

アイランドキルト

フィリピンのカオハガン島で作られたキルト。自由な配色と南国的な明るいデザインが特徴です。1990年にカオハガン島を購入した 崎山克彦夫妻が、現地の住民に伝えたキルトが元になっているそうです。島の観光資源として注目されており、日本から招かれた キルト作家が技術指導にあたっています。

クロスステッチについて

クロスステッチとは手芸・刺繍の種類のひとつです。クロスステッチの名称通り、×印の縫い取りを布に並べることにより 図案を表現する刺繍です。フランス刺繍などのように様々なステッチを使うことが無く、図案がマス目状に表現されるため図案通りの 形に刺すことが比較的簡単に出来るため、初心者や子供にも取っ付きやすく、刺繍キットではクロスステッチが一番数多く販売されています。 布地は縦と横の織り目の間隔が同じになっているもの使用します。ジャバクロス、アイーダ、刺繍用リネンなどと呼ばれています。

ジャバクロス・アイーダ

ジャバクロス・アイーダは、縦横の織り目の間を一定間隔で開けることにより点状の隙間が布地全体に格子状にあくように織った布地 です。点状の隙間に針を通す事により一定の大きさのステッチを刺すことが出来て、また縦横が正しく直角な図案になります。 織り目の間隔が同じなので、1つ1つのステッチが正方形となります。

刺繍用リネン

刺繍用リネン粗めに織ったリネン生地で、織り目の隙間が大きいため上述したジャバクロスと同じように使用することが出来ます。

抜きキャンパス

抜きキャンパスとは上記以外の布にステッチをする場合、升目にゆるく織った布を使用しステッチすることです。 使い方は、刺繍の図案より大きめに抜きキャンパスを切り、刺繍したい生地に針や糸などでとめつけます。それから抜きキャンパスの 織り目を頼りに刺繍を行い、刺繍が終了した時点で抜きキャンパスの縦糸、横糸を引き抜きます。

プチポワンについて

プチポワンは刺繍の一種です。18世紀のウィーンで編み出された技法で、拡大鏡を使用して手刺繍で 1 平方センチあたり21-225目の テント・ステッチを施した物のこと。目が細かいことから、通常のクロスステッチと異なり、絵画的な表現を行うことができます。 マリー・アントワネットをはじめ、ハプスブルク家の女性たちが好んだと言われています。日本では、手芸作家の久家道子が プチポワンに関する本を出版しています。また、小さな宝石や真珠のアクセサリーのことをプチポアンと呼ぶことがあります。 襟や袖などにワンポイントとして用いられています。

ハプスブルク家

ハプスブルク家は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系です。古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門の末裔を自称し、 中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長しました。中世から20世紀初頭まで 中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、 ハンガリー王国、オーストリア帝国などの大公・国王・皇帝を輩出しました。また、後半は形骸化していたとはいえ、ほぼドイツ全域を 統べる神聖ローマ帝国の皇帝位を中世以来保持し、その解体後もオーストリアがドイツ連邦議長を独占したため、ビスマルクによる 統一ドイツ帝国から除外されるまで形式的には全ドイツ人の君主でした。ヨーロッパ随一の名門王家と言われています。

マリー・アントワネット

マリ・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュは、フランス国王ルイ16世の王妃です。 ハプスブルク=ロートリンゲン家の出身で、オーストリア大公マリア・テレジアとその夫である神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの 十一女。結婚前のドイツ語名は、マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハーナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンです。 マリー・アントワネットは、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と 発言したと紹介されることがあります。原文を直訳すると「彼らはブリオッシュを食べるように」となります。ブリオッシュは現代では パンの一種の扱いですが、かつてはお菓子の一種の扱いをされており、バターと卵を普通のパンより多く使った、いわゆる「贅沢なパン」 のこと。ですが、これはマリー・アントワネット自身の言葉ではないことが判明しています。ルソーの『告白』の第6巻に、 ワインを飲むためにパンを探したが見つけられないルソーが、“家臣からの「農民にはパンがありません」との発言に対して 「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公婦人が答えた”ことを思い出したとあり、この記事が有力な原典のひとつで あるといわれています。